伊勢神宮【年末】にお参りすべき?

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毎年のように、大勢の人でにぎわう「お伊勢さん」こと伊勢神宮――。

年末に参拝するほうがよい」ということを ご存知ですか?

今回は、これから お伊勢参りされる方に向けて、年末の伊勢神宮についてお伝えします。

 

伊勢神宮は なぜ有名なの?

伊勢神宮内宮の鳥居
伊勢神宮の鳥居をくぐる人々

 

そもそも、なぜ 伊勢神宮に あれだけ大勢の人が集まるのでしょう・・・?

なにかしら、ご利益があるからなのでしょうか。

 

早い話が、伊勢神宮には、古来から 日本人の心のよりどころとなる「神様」がまつられているからなのです。

 

「神様」と言われて、思い浮かぶのは、どなたでしょうか。

 

わたしは、古代エジプト史が好きなので、太陽神「ラー」を思い浮かべます。

そのほかにも、多くの神々がいることと思いますが、実は、伊勢神宮にまつられている神様も、エジプトの太陽神と似たものだと言われています。

 

その名前を「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」と言います。

漢字を読み解くと、天空すべてを照らす神様、すなわち「太陽神」だということが お分かりいただけると思います。

 

日光を浴びるイネ
イネが育つには、日光が必要

もう少し くわしくお話すると、もともと稲作を行っていた弥生時代の人々は、太陽を中心に生活していたと考えられています。

太陽の光がないと、作物が育たず、食べ物を得ることができません。

そこで、太陽には力があると感じ、天照大御神という神様をあがめるようになったと言われています。

 

最初は一部の地域でしかあがめられていなかった天照大御神も、やがて、日本各地であがめられるようになったと推測されます。

こうして、古代の日本全土に 太陽信仰が広まり、日本人の心のよりどころになったと考えられています。

 

その後、天照大御神とは違う神様(タカミムスヒ)を中心とする思想が 大陸から入ってきました。

しかし、「太陽」である天照大御神と人々の生活は、切っても切れない縁で結ばれていたようです。

そこで、日本という国家を統一するにあたって、大陸から伝わった神様 高皇産霊尊(タカミムスヒ)ではなく、もともと人々の信仰が厚かった「天照大御神」が選ばれ、今日に至るというわけです。

 

このように、「太陽が人々の心のよりどころになる」ということは、決して珍しい話ではありません。

古代エジプトも同じです。

気になる方は、古代エジプト史を調べてみてください。

 

 

では、話を戻します。

 

この天照大御神は、伊勢神宮にまつられているのは 先述した通りです。

ただ、天照大御神は、ほかの神様とは違うからこそ、伊勢神宮に多くの人々が集まる理由になっています。

ただ単に「太陽神をまつっているだけ」では、ふだんから目にしている太陽は何なんだ?ということになってしまいますからね。

 

 

ほかの神様と違うところ――

それは、天照大御神が日本の皇室の祖とされている神(皇祖神)であるということです。

(諸説あるため、天照大御神が皇祖神ではなく、タカミムスヒが皇祖神だという説もあります。)

 

現代の日本では、天皇を象徴として国が成り立っていますが、その先祖であろうお方が 伊勢神宮に まつられているのです。

 

天皇は、古代から日本をつくりあげてきた重要な人物と言っても過言ではないでしょう。

仮に、天皇の血縁関係が、初代天皇(神武天皇)から 今に至るまで途絶えていないとすれば、すべての天皇は、天照大御神 直系のご子孫ということになります。

 

日本は、天皇を象徴としています。

なんだか、日本を支える 一本の柱のように感じませんか?

 

やはり、どこか「 心のよりどころ」的なものを感じるのは、今も昔も変わらないことなのでしょう。

 

だから、伊勢神宮は有名であり、毎年 あれだけ多くの方々が集まるのです。

 

天照大御神がまつられている理由

太陽には不思議なパワーがあるのかも…

日本をまとめ上げるために、天照大御神が一役買ったのは、言うまでもありません。

しかし、なぜ 伊勢でまつられているのか不思議に思いませんか?

ここからは、伊勢神宮が伊勢にある理由をお伝えします。

 

始まりは、今から2000年以上も前のこと、第10代天皇 崇神天皇(すじんてんのう)のころだったと言われています。

西暦で表すと、紀元前97~30年です。

 

このころ、崇神天皇のそばで、天照大御神がまつられていました。

しかし、天照大御神だけではなく、倭大国魂(ヤマトノ オホクニタマ)という神様も一緒に まつられていたといいます。

 

実は、この2つの神様は、どちらも力が強く、同じ場所にあってはならなかったようです。

真実かどうかは分かりませんが、このことが災いを引き起こしたと言われ、崇神天皇は、天照大御神に恐怖を感じるようになります。

 

その後も、疫病で人口が半分になるなどの災いが起こり、崇神天皇は、やむなく、ほかの場所で 天照大御神をまつることを決めたのです。

 

かといって、まつり直した場所が 中途半端なところでは、また災いが起こりかねません。

そこで、崇神天皇は、天照大御神をまつるのに もっともふさわしい場所を、巫女に探させたのです。

 

最初に選ばれたのは、今の奈良県桜井市あたりでした。

ただ、奈良県は、ヤマト王権の影響が強く、天照大御神を静置するには ふさわしくないと考えたのでしょう。

当時の巫女は、もっとふさわしい場所を探すために 奈良県を出て、現在の三重県・滋賀県・岐阜県を順に巡ったとされています。

そうして、第11代天皇 垂仁天皇(すいにんてんのう)のころ、巫女が伊勢を訪れたとき、天照大御神から次のようなお告げがあったといいます。

 

この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にもよせては帰る国である。

都から離れた傍国ではなるが、美しい国である。

この国にいようと思う。

伊勢神宮 公式HP「神宮の歴史・文化」より引用
https://www.isejingu.or.jp/about/history/

 

当時の伊勢という地は、ヤマト王権の影響が及んでいない場所だったといわれます。

そのため、天照大御神をまつるのに最適な「清浄の地」として選ばれたと推測できるでしょう。

  

こうして、天照大御神のお告げのままに、五十鈴川の川上に、現在の伊勢神宮 内宮が建てられたというわけです。

ちなみに、外宮は、さらに時が経つこと 500年の後に、豊受大神宮(とようけ だいじんぐう)として建てられました。

 

内宮は天照大御神、外宮は?

ここまで見てきたように、内宮には「天照大御神」がまつられており、これに深く関わったのは、崇神天皇でした。

では、外宮に まつられているのは、どのような神様で、どの天皇が深く関わったのでしょうか。

 

まず、天皇から見ていきましょう。

外宮と大きく関係している天皇は、雄略天皇と言われています。

この雄略天皇は、小中学校の教科書にも出てくる、「ワカタケルノミコト」と同一人物だとされています。

 

そして、ある日、雄略天皇は、天照大御神の夢を見たそうです。

夢から覚めた雄略天皇は、その天照大御神のお告げ通りに、ある神様を この伊勢の地でまつることにしたのです。

 

その神様とは、丹波国にあった豊受大御神(とようけの おおみかみ)でした。

丹波国というのは、今の京都府・兵庫県・大阪府(一部)を含んだ、かつての地方行政区分のことです。

 

そうして、内宮が建てられてから半世紀の後、外宮(豊受大神宮)では、豊受大御神がまつられるようになりました。

 

ご飯とお味噌汁

 

では、外宮でまつられている「豊受大御神」について、少しだけ説明しておきます。

豊受大御神は、天照大御神のお食事をつかさどる神様と言われています。

今でも、衣・食・住や、産業の守り神として 敬われている神様です。

 

この外宮が建てられたころから今に至るまで、朝と夕の2回、天照大御神らに食事を供える「大御饌祭(おおみけさい)」が続けられています。

こうした神宮で行われる祭典は、「外宮先祭(げくうせんさい)」という習わしがあります。

これは、まず外宮で祭儀を執り行い、その後、内宮で祭儀を執り行うというものです。

大御饌祭(おおみけさい)の場合も、内宮の祭儀の前に 豊受大御神にお食事を奉ります。

 

ちなみに、神様にお供えする食事は、次のように 品目が決められています。

御飯三盛、鰹節、魚、海草、野菜、果物、御塩、御水、御酒三献

それに御箸が添えられます。

伊勢神宮 公式HP「日別朝夕大御饌祭」より引用
https://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/higotoasayu.html

 

なぜ お伊勢参りするようになったの?

着物を着てお参りする人

伊勢神宮が建てられたばかりのころは、今ほど多くの人は集まっていませんでした。

では、いつから伊勢神宮に人が集まり、「お伊勢さん参り」が始まったのでしょうか。

 

歴史を紐解いて見ていきましょう。

 

もともと、伊勢神宮には、皇祖神である天照大御神がまつられています。

そのため、直接関係のない人々が、天照大御神にお供えすることは禁止されていました

しかし、禁止されていたのはお供えすることであって、参拝自体が禁止されていたわけではありませんでした。

 

この当時、「勅使」と言って、天皇の言葉を伝える役割の人々がいました。

勅使は、天皇に呼ばれるたび、お供を連れて、この伊勢までやってきていました。

 

お供らは、そのときに見聞きした伊勢神宮のことを、都に帰ってから伝え広め、多くの人が「お伊勢さん」の存在を知ることになったと言われています。

さらに、平安時代の終わりごろから室町時代にかけて、祈禱を生業とする「御師(おんし)」によっても、お伊勢さんが広められることとなります。

 

次第に、お伊勢さんは、当時の武士にとっても、農民にとっても、商人にとっても、有益な神様として崇められるようになっていきました。

 

そうして、あるとき、出どころの分からない噂「みなが お伊勢さんに行く」という話に釣られて、民衆たちが一斉に伊勢へ向かったわけです。

このとき、奉公人が 主人に断りなく 伊勢に行くなど、こっそりと抜け出す者が多かったため、伊勢参りを「抜け参り」と呼んでいました。

 

さらに、この「抜け参り」には、「おかげ」という言葉につながるポイントがあったとされています。

 

それは、たとえ無一文であったとしても、伊勢神宮に行くまでの間で 泊まる場所を貸してくれたり、食べ物を恵んでくれたりしたということです。

もし、泊まる場所や食事を旅行者に用意できなかったら、その人に天罰が下るという言い伝えもあったほどです。

だから、伊勢参りは、自分以外の人々の「おかげ」でできる旅なのだという認識があったようです。

 

その後、江戸時代には、大規模な伊勢参りが 5回あったという記録があります。

1回で200万人以上が 伊勢神宮を訪れたのではないかとされています。

200万人というのは、名古屋市の人口230万人とほぼ同じです(2019年現在)。

名古屋市に住んでいる方々が、一斉に伊勢神宮に行くというイメージですね。

現代でそのようなことが起きたら、大混乱するでしょうね。(笑)

 

この江戸時代からの伊勢参りを「おかげ参り」と呼んでいます。

天照大御神の「御蔭(おかげ)」をもらうことと、天照大御神の「おかげ」で、豊作であり、商売が繁盛しているのだということに関連しているわけですね。

 

 

現在は、公共交通機関や自家用車があるので大した旅行ではないかもしれません。

しかし、江戸時代までの方々からすると、1日で行って帰ってくるなんてことは不可能です。

とくに、西は関東方面から、東は兵庫県方面から、自分の脚で 伊勢を訪れたといいます。

伊勢音頭の一節にありますが、「せめて一生に 一度でも」という願いをもっていたのでしょう。

 

ちなみに、おかげ参りが大規模になるにつれて、伊勢の地は、少しずつにぎわっていったことが考えられます。

これも、きっと 天照大御神のお力ゆえのご利益だったのでしょう。

 

そうして現在でも、伊勢に人が集まり、参拝する方が多いというわけですね。

 

年末年始なら「年末」に参拝する理由

伊勢神宮内宮に向かう人々
内宮の正宮に向かう人々

では、ここから、ようやく年末年始の話をしていきます。

 

わたしの身の回りの方々は、お伊勢参りをするとしても、

「年始は混むから、年末に行っておこう」

という考え方の人が多いようです。

 

しかし、そのような混雑具合によるものではなく、年末に参拝する理由があるのです。

 

早い話が、内宮の正宮にまつられている天照大御神は、願い事を叶えるために存在しているわけではないからです。

 

多くの方がご存知ないようですが、「ありがとうございました」という報告をする場所が内宮の正宮です。

もう少し詳しく説明すると、天照大御神の魂が その性質ごとに分けられ、それぞれ違う場所に静置されているのです。

 

ほとんどの方が足を運ぶ 内宮の正宮にまつられているのは、天照大御神の和魂(にぎみたま)です。

和魂は、神様の穏やかな魂をさします。

この和魂に対しては、感謝の気持ちを伝えるのが一般的になっています。

 

だから、内宮の正宮は、年始でなく年末に訪れ、1年間の感謝の気持ちを伝えに行くべき場所なのです。

もし、願い事をしたいというのであれば、和魂ではない魂がまつられている場所に足を運ぶ必要があります。

 

参考までに、もしも願い事があるなら、内宮の第一の別宮である「荒祭宮」に行きましょう。

この「荒祭宮」には、天照大御神の荒魂(あらみたま)がまつられています。

荒魂とは、天照大御神の荒々しく、活動的な魂のことです。

「荒祭宮」は、内宮の正宮に 近い場所にあります。

 

意外と知らない?正しい参拝のしかた

参拝する時間と順序

伊勢神宮は、午前5時から参拝することができます。

とくに、この時間がもっともよいというのはありません。

ただ、交通状況や駐車場の空き状況によっても、時間は左右されることがあります。

余裕をもって、伊勢に来られると安心ですね。

 

ただ、「外宮先祭」という祭典の順序にならい、参拝も 外宮から内宮の順にお参りするのが習わしです。

 

参拝するときの服装

参拝は「神様へのあいさつ」だと思って臨むべきでしょう。

そう考えれば、肌の露出が控えめな洋服、穴の開いたジーンズといった服装が失礼であることはお分かりいただけるはずです。

今回は、年末年始の話なので、黒色のチェスターコートを着て、内側の服装を隠せば まだ常識の範囲内と言えるでしょう。

神様は、そのようなことすらもお見通しなのかもしれませんが…。

 

そのほかの季節、たとえば、夏場であったとしても、上着を持参するなど、肌の露出を控えた服装が望ましいと言えるでしょう。

 

なお、特別参拝である「御垣内参拝」でなければ、正装でなくてもよいと言われています。

 

決められた場所を歩く

内宮に着くと、大きな鳥居が目に入ります。

よくこの場所で写真を撮られている方が多いのですが、通行の妨げにならないようお気を付けください。

また、この鳥居をくぐるときに、ひとつめのポイントがあります。

 

それは、真ん中を通らないことです。

基本的に、鳥居だけでなく、ほかのすべての道で共通して言えることです。

道の真ん中は、神様だけが通れる道と言われています。

わたしたちは、その神様と同じ道を歩くことができませんので、ご注意ください。

 

ふたつめのポイントは、鳥居をくぐる前に立ち止まり、軽く一礼することです。

鳥居をくぐるごとに、神様がいる神宮内部へと近づいていきます。

神様がいる領域に入らせてもらうという気持ちで、鳥居をくぐる前に一礼しましょう。

 

なお、参道について、決められた通路があるので、こちらも合わせてご注意いただければと思います。

内宮は右側外宮は左側を歩くように案内表示があります。

これは、先にある手水舎の位置によって決められているものです。

 

なお、不安であれば、手水舎での手と口の清め方、参拝の作法である「二拝二拍手一拝」を確認してから参拝するようにしましょう。

日本の総氏神様にお参りするのですから、正しく参拝したほうがよいですよね。

 

 

年末の混み具合は・・・?

年末年始は、とくに多くの人が伊勢神宮を訪れます。

では、年末と年始を比べると、どちらの方が混んでいるでしょうか?

 

きっとご想像通りだと思いますが、年始よりも年末の方が人は少ないです。

 

先ほど申し上げたように、1年間の感謝の意を伝えるのであれば、年末に足を運ぶべき場所です。

しかし、多くの方々は、初詣として伊勢神宮を訪れるようです。

初詣は、年が明けてから行うものであり、元日だけでなく、1月の第1週目は、ほぼ毎日 かなり混雑します。

 

話をまとめますと、

 ① 内宮の正宮は、1年間の感謝の意を伝えるところであること。

 ② 年始よりも年末の方が人が少ないこと。

以上のことから、わたしは、年末に訪れない理由がないように感じています。

だから、毎年12月31日に、伊勢参りをしているというわけです。

 

この年末の伊勢参りについては、次の記事でくわしく書かせていただきました。

交通情報や駐車場情報など、参考になる情報を載せております。

 

 

本年は、どのような年でしたか?

新年も、幸多きことを願っております。

 

伊勢神宮の情報

住所:三重県 伊勢市 宇治館町1

電話:0596-24-1111
   (午前8時30分~午後4時30分)

 

 

本記事を書く上で参考にさせていただいたサイト(URL)は、次のとおりです。

伊勢神宮 公式HP
(https://www.isejingu.or.jp/index.html)

歴史街道推進協議会事務局 「伊勢の歴史を知ろう」
(https://www.ise-cci.or.jp/yeg/machi/omairi/reki/rekishi.html)

三重県のウェブサイト(トップページ)
(http://www.pref.mie.lg.jp/)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。